テスト結果が各校返却されつつあります。
前回の中間テストにて自己ベストを更新しつつ、
今回の期末テストでも、さらに自己ベストを更新した生徒の報告を受けると、
やはりこちらも嬉しい気持ちになりますね。
反面、今回のテストで「過去最低点」となってしまう生徒もきっといることと思います。
これまで、我が子が自分のテスト結果を見て「悔しい、、、」と、涙を流す姿を見たことがある親御さん、たくさんいらっしゃると思います。
そして、「悔しい、、、」と涙を流しつつも、ほんの少し時間が経つと、
「あの時の悔しさはどこへ、、?」と、親も少し呆れてしまう姿を見たことがある方も、
たくさんいらっしゃると思います。
これ、なぜその悔しさは続かないんでしょうね。
僕も、時間をとって考えてみました。
もしかしたら、
「悔しがる姿」を誰かに見せたいのかもしれないですね。
そして、慰めてほしかったり、頑張りを認めてほしかったり、
そういったことを通じて「自分を見てほしい気持ち」が強いのかもしれない。
そう思いました。
だから、一人で、部屋にいるときに涙を流すのではなく、
親や友達などの、「誰かの前で涙を流すとき」は、
誰かに、自分の気持ちを共有したかったり、受け止めてほしいときだと思うんですよね。
誰しも、そんな瞬間ってあると思います。
ただ、場合によっては、「気持ちの共有」さえ一度できたら満たされる、ときもあります。
「悔しい」という気持ちは、「悔しい」から生まれてくるのではなくて、
・誰かと気持ちを共有したい
・受け止めてほしい
そのやり取りを通じて、
・自分のことを褒めてほしい
・自分の頑張りに目を向けてほしい
・もっと自分に構ってほしい
・怒られたくない
みたいな欲求があるときもあります。
そう考えると、我が子の「悔しい」という気持ちは、半分本当で半分ウソ、でもあります。
もし、そうだとしたら、我が子にはどんな声かけが効果的なんでしょうか。
と言われると、
正直、僕にもわかりません^^;
また、ここで「正解」みたいなものを探せば探すほど苦しくなる、とも思っています。
大切なことは、
我が子が見ているものは何だろうか?
ということ。
我が子が見ているのは、テストの点数でもなく、成績の評価でもなく、
親や先生の「目」
なのかもしれませんね。